1升、1合。お米のひとすくいに歴史を感じるその由来
こんにちは、新潟産こしひかりHIBARIの都木です。
1升に1合、お米とお酒以外ではなかなか目にすることのない単位ですが、この不思議な単位には中国王朝からスタートする長い歴史の積み重ねがあります。
新米の美味しい時期に、歴史の1シーンを想像しながら味わってみてはいかがですか?
1合・1升は桝(ます)を基準にする量り方
いきなりですが、お米の1合はおおよそ150gとなります。おおよそという言い方になるのは、桝(ます)という容器をすり切りいっぱいという考え方が根本にあるためです。
現代ではプラスチックの計量カップに姿を変えていますが、容器をいっぱいにした時、米粒の大き・水分量・すくう際の均し方まで全く同じにするのは難しいですよね。これが1合の重さが「おおよそ」になってしまう理由です。
合(ごう)のはじまりは中国王朝
「合」という単位は、昔の中国王朝である漢代に長さの標準を示す黄鐘管という容器を満たす水の量の2倍 = 2つを「合」わせるという単位に由来されていると言われています。
後に「升(しょう)」という単位と関連づけられて「升(しょう)の1/10の量」と定義され、日本へ伝わりました。
この考え方はあの富士山にも古くから取り入れられていて、麓から頂上までの高さを10合枡(ます)として捉え、頂上までの目安として●合目という言われ方になったそうです。
枡(ます)と升(しょう)の歴史
日本では、今から約1300年前の飛鳥〜奈良時代に「量る」という概念がはじまりました。
その後もモノを量りコトを計算する道具として活用されていましたが、枡の単位であった「升」という名前は同じでも、その大きさは地域や時代によって変化していました。年貢として穀物を求めた領主ができる限り多く農民から徴収するため、少しずつ大きくしたのが原因と言われています。
地域ごとにバラバラになってしまった「升」の単位を、統一しようとしたのが織田信長・豊臣秀吉・徳川家康です。まずは織田信長が商業発展のためにと動き始め、全国統一した豊臣秀吉は効率よく正確に年貢を取るために日本で初めて1升の容量を定義しました。さらに徳川幕府は 1升枡のサイズ自体を全国統一で定めたのです。
1959年に計量法改正により公取引においてg(グラム)、cc(シーシー)、ml(ミリリットル)など国際単位の使用が義務づけられましたが、生活の中に古くから根付いた「升」や「合」は、いまだに身近な単位として現代でも生き続けています。
お米のひとすくいに歴史を感じて
お米を計量カップですり切りいっぱいすくうこと、そこに1合分が入っているということ。わたしたちが普段当然のようにおこなっている行為、そこには長い歴史によって成り立っています。
新米のおいしい時期、こんなストーリーを思い出しながら新潟産こしひかりHIBARIを食べてみるとまたひと味違うかもしれません。